Sachiko teaches English. She used to work as a translator, but for some reason which was explained in "The Boiling Frog Theory," she had to quit the job she had been doing for nearly 20 years. The problem was that she didn't like to teach because of her memories about a teacher when she was a second grader.
One day, one of her classmates got sick and threw up in the class room. The classroom teacher cleaned the room quietly as if nothing had happened. As children always get sick or injured and recover, it must have been within teacher's job responsibilities. Sachiko finds no problem now, but back then, it was horrible for her. Sachiko hated and still hates to see someone throwing up. And since then, Sachiko had believed that teachers should be responsible for whatever their students did. In Japan, when students cause trouble, such as bullies, their teachers, not their parents, apologize in press conferences.
What are teachers’ responsibilities, especially, when learners are adults? Sachiko asked this herself because she teaches only grown-ups and believed that people would never do what they didn't want to do and so, it was beyond her power to persuade them to learn what they had no will to learn.
However, her teaching experience has recently changed her. Some students earnestly want to improve their English skills, but just don't know what to do or have little or no confidence in their ability to learn. She can help them about this, i.e., she can share with them methods she has built for herself to improve her own English skills to help them build confidence in themselves. Teachers are not responsible for improving students' academic grades, but assisting them in developing their methods by sharing her experiences and skills. Sachiko has also realized that teaching requires not only creativity and imagination, but also patience and tolerance and therefore is worthwhile.
Sachiko currently focuses on observing and knowing students to make adjustments to her methods. She now believes that teaching is learning herself.
幸子は今英語を教えている。以前は翻訳をしていたが、いろいろあって(ゆでがえる理論)、20年近くも続けていた翻訳を辞めなければならなくなった。ただ一つ問題があった。教えることが好きではないのだ。理由は彼女が小学2年生の時の思い出にある。
ある日、生徒の一人が病気になり、教室でもどした。担任の教師は何事もなかったように掃除した。子供は病気やけがになるがすぐに治る。今思えば何でもないことだ。しかし当時の幸子には本当に嫌な出来事だった。幸子は今でも、人が吐いているのを見るのが大嫌いだ。
それ以来、幸子は、教師というものは、生徒のやった全てに責任を持たなければならないと考えるようになった。日本では、いじめなどがあると、記者会見では親ではなく教師が謝罪する。教師の責任、特に、生徒が大人の場合の教師の責任とは何だろう。
幸子がこんな疑問を持つのは、人はやりたくないことはしないし、特に大人の生徒にやりたくもないことを学ぶように説得するのは無理だと思っているからだ。
ただ、教えることを始めてから、幸子は少し変わった。生徒の中には英語を上達させたいが方法が分からない、あるいは自分自身の学習能力にただ自信のないだけの生徒がいる。そんな生徒たちに方法を教えること、自信が持てるように手助けすることはできると気付いたのだ。教えるということは、彼らが使えるような方法で、彼女自身が培ってきた方法を伝え、彼ら自身の方法を作り上げることを助けることだ。教えることは生徒の成績に責任を持つことではない。経験や知識を伝えることによって、彼ら自身の成長を助けることだということに気が付いた。創造性や想像力、忍耐や観察力が必要だということも知った。そしてやりがいがあるということにも。
今、彼女は生徒を観察し、知り、生徒が使えるように彼女自身の方法に調整を加えている。教えるということは学ぶことなのだ。
幸子は今英語を教えている。以前は翻訳をしていたが、いろいろあって(ゆでがえる理論)、20年近くも続けていた翻訳を辞めなければならなくなった。ただ一つ問題があった。教えることが好きではないのだ。理由は彼女が小学2年生の時の思い出にある。
ある日、生徒の一人が病気になり、教室でもどした。担任の教師は何事もなかったように掃除した。子供は病気やけがになるがすぐに治る。今思えば何でもないことだ。しかし当時の幸子には本当に嫌な出来事だった。幸子は今でも、人が吐いているのを見るのが大嫌いだ。
それ以来、幸子は、教師というものは、生徒のやった全てに責任を持たなければならないと考えるようになった。日本では、いじめなどがあると、記者会見では親ではなく教師が謝罪する。教師の責任、特に、生徒が大人の場合の教師の責任とは何だろう。
幸子がこんな疑問を持つのは、人はやりたくないことはしないし、特に大人の生徒にやりたくもないことを学ぶように説得するのは無理だと思っているからだ。
ただ、教えることを始めてから、幸子は少し変わった。生徒の中には英語を上達させたいが方法が分からない、あるいは自分自身の学習能力にただ自信のないだけの生徒がいる。そんな生徒たちに方法を教えること、自信が持てるように手助けすることはできると気付いたのだ。教えるということは、彼らが使えるような方法で、彼女自身が培ってきた方法を伝え、彼ら自身の方法を作り上げることを助けることだ。教えることは生徒の成績に責任を持つことではない。経験や知識を伝えることによって、彼ら自身の成長を助けることだということに気が付いた。創造性や想像力、忍耐や観察力が必要だということも知った。そしてやりがいがあるということにも。
今、彼女は生徒を観察し、知り、生徒が使えるように彼女自身の方法に調整を加えている。教えるということは学ぶことなのだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿